1995年3月20日
東京都の地下鉄でカルト新興宗教団体のオウム真理教が起こした化学兵器を使用した無差別テロ事件である。
毒ガスのサリンが散布されて死者を含む多数の被害者を出し、日本の社会に大きな衝撃を与えた。
1995年3月20日(月曜日)午前8時ごろ、東京都内の帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄、以下営団地下鉄)丸ノ内線、日比谷線で各2編成、千代田線で1編成、計5編成の地下鉄車内で、化学兵器として使用される神経ガスサリンが散布され、乗客や駅員ら12人が死亡、5,510人が重軽傷を負った。
日本において、当時戦後最大級の無差別殺人行為であるとともに、松本サリン事件に続き、大都市で一般市民に対して化学兵器が使用された史上初のテロ事件として、全世界に衝撃を与えた。
事件から2日後の3月22日に、警視庁は新興宗教団体オウム真理教に対する強制捜査を実施し、事件への関与が判明した教団の幹部クラスの信者が逮捕され、林郁夫の自供により全容が明らかになった。
東京地裁は主犯の麻原彰晃(本名:松本智津夫)を始め、林郁夫を除く実行犯全員に死刑を言い渡した。
大災害や戦争の際にも機能できる病院として設計されていた聖路加国際病院は、当時の院長であった日野原重明の判断により直ちに当日の全ての外来受診を停止して被害者の受け入れを無制限に実施し、被害者治療の拠点となった。
又、済生会中央病院にも救急車で被害者が数十名搬送され、一般外来診療は直ちに中止。その後、警察から検証の為にとの理由で、被害者の救急診療に携わった病院スタッフの白衣等が押収された。
虎の門病院も、数名の被害者をICU(集中治療室)に緊急入院させ高度治療を行うと共に、軽症患者を多数受け入れた。
当時サリン中毒は医師にとって未知の症状であったが、信州大学医学部附属病院第三内科(神経内科)教授の柳澤信夫がテレビで被害者の症状を知り、松本サリン事件の被害者の症状に酷似していることに気づき、その対処法と治療法を東京の病院にファックスで伝えたため、適切な治療の助けとなった。
一方で、「急病人」「爆発火災」「異臭」という通報で駆けつけた警察官や消防官の多くは、サリンに対してはまったくの無防備のまま、地下鉄駅構内に飛び込み、救急救命活動に当たったため、多数の負傷者を出した。
この事件は、目に見えない毒ガスが地下鉄で同時多発的に撒かれるという状況の把握が非常に困難な災害であり、トリアージを含む現場での応急救護活動や負傷者の搬送、消防・救急隊員等への二次的被害の防止といった、救急救命活動の多くの問題を浮き彫りにした。
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