竹の子族

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 1978年3月18日:東京・原宿に「ブティック竹の子」がオープン。

 この店で扱う派手な衣装を着た少年・少女が踊ったのが「竹の子族」と呼ばれた。

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 東京・原宿の代々木公園横に設けられた歩行者天国でラジカセを囲み、ディスコサウンドにあわせて独特の「竹の子族ダンス」を踊るという短期的な流行。

 グループのメンバーは主に中学・高校生。 週末には関東近郊から集まった、「竹の子族」の若者たちで原宿歩行者天国(ホコ天)は溢れかえり、そのブーム最盛期には2000名以上の竹の子族が踊っていたという。

 ラジカセから流す曲は主にディスコサウンドで(「アラベスク」「ヴィレッジ・ピープル」「ジンギスカン」等の80年代キャンディーポップス)で踊っていた。

  竹の子族の衣装は原色を多用したファッションで、アラビアンナイトの世界のような奇想天外なシルエットが注目を集めた。  化粧は男女問わず顔にキツメのメイクをしていたのも特徴。 その衣装が、「ブティック・竹の子」の商品であったことからこの名がついた。

 街頭や路上で若者グループがディスコ音楽に合わせてパフォーマンスを演じるブームの先駆けとなった。  若者集団の文化、ファッションとしても、1970年代の後半で注目されるキーワードのひとつ。  タレントの清水宏次朗や(故)沖田浩之も街頭でスカウトされて芸能界へデビューしている。  

  1980年初め、毎週日曜日の原宿の代々木公園の歩行者天国では、竹の子族は約50グループで2000人にも膨れあがっていた。  その初期は30人前後であり、1年間で100倍近くに膨れ上がった事になる。  増殖したのは当の竹の子族だけではなく、見物人のギャラリーも想像を超えるほど急増した。

  毎週日曜日になると、およそ10万近い人間が原宿ホコ天に集まり、 歩行者天国の端から端まで身動きがとれないほどの状態になった。

 1981年頃からフィフティーズ系というリーゼントに皮ジャンというファッションでロカビリーの曲に合わせてツイストを踊るグループが出始めると急速に下火になり、やがて消えていった。

 現在も当時の竹の子族メンバー達は、同窓会的な雰囲気で原宿ホコ天ナイトと称して、子供連れOKのクラブでのダンスイベントを開催しているという。   

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