日航機 よど号ハイジャック事件

1970年~1979年
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「われわれは明日のジョーである」

発生:1970年3月31日に起きた日本初のハイジャック事件。

赤軍派9人が羽田発福岡行き日航機「よど号」を乗っ取り、「よど号(淀号)」とは、ハイジャックされたボーイング727型機の愛称で、当時の日本航空は保有する飛行機一機ごとに愛称を付けていたことによる。
なお、ボーイング727型機には日本の河川の名前をつけていた。

 

 

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福岡空港で乗客23人を解放、北朝鮮へ飛び立ったが、着陸したのは韓国・金浦空港。
3日後、当時の山村新治郎・運輸政務次官(故人)が身代わりになって乗客は全員解放され、山村氏と機長ら乗員、犯人グループは4月3日夜、平壌に到着した。
よど号は赤軍派9人を北朝鮮に残して帰国した。

この事件は日本初のハイジャックであり、教訓として6月に航空機の強取等の処罰に関する法律(ハイジャック防止法)が制定された。
ただし、憲法39条の遡及処罰禁止規定により、犯人グループが帰国した場合、この法律は適用されない。
略取及び国外移送罪や傷害罪に問われる可能性が高い。なお、国外逃亡のため時効は停止している。

 

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その後・・・
何名かは北朝鮮国内で不審死を遂げている。
小西隆裕、魚本公博、若林盛亮、赤木志郎は現在ピョンヤン在留と思われる。
また、日本人拉致事件への関与が疑われる者もいる。

 

追記

2017年4月27日現在

 
柴田泰弘と田中義三の2人は日本に帰国した後に裁判で有罪判決を受け、服役。
柴田は刑期満了による出所後の2011年6月23日大阪市内のアパートで、田中は2007年1月1日に服役中にそれぞれ死亡した。

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